2009.06/22(Mon)

慣性 考 

慣性の法則という物理法則がある

それは「物体が常に現在の運動状態を保とうとする性質」のことをいうそうだ

つまり静止しているものは静止し続け

運動しているものは運動し続けるということだ

また、慣性力=遠心力 だという

こういった法則に関して詳しいことはインターネットで調べてみれば出ている



慣性とは放っておけばいつまでもそのまま動き続けると考えて良いだろう


これを人間にあてはめれば「クセ」「習慣」あるいはまとめて「習慣化したクセ」と言えるだろうか

同じクセを習慣的に繰り返すことにより、それは完成された感性(=血肉)となっている

実際、人間は習慣のかたまりだ





さて、クセにも色々あり、自分で認識できるものもあれば、全く認識できないものもある

この認識できない方のクセを一般に「なくて七クセ」というそうだ

どんなに「自分には無い」としか思えなくても、七つくらいはあるらしい




そして自分自身を振り返ってみれば頷けるが

この「自分では認識できないクセ」について、他人から指摘されたとき

我々の多くは不快感と抵抗感を感じ、瞬間的に拒絶するという反応をしがちである




なぜなら自分は「ない」と思っているものを「ある」と言われるということは

自分を批判、否定されたと感じる、これまた完成し固定した「習慣」があるからだ

この習慣は相当に強力で、たとえ尊敬する相手や好きな相手から指摘されたとしてもなかなか受け入れにくい

ついさっきまで尊敬したり好きだった人を、突然嫌いになる原因の1つとも言えるだろう



さらに自分が認めていない相手や嫌いな相手から言われるともう完璧だ!

「あんたに言われたくない」スイッチが入り、こうなるともう押しても引いても全く聞く耳を持たない


そして皮肉なことに、このような指摘をしてくれるのは得てして

嫌いな人、波長の合わない人だったりすることが多いのだ


なぜなら相手も貴方や私が嫌いなので、ずけずけと耳に痛いことを言うことに

痛みを感じることが非常に少なく、逆に快感すら感じるからだ

だから「喜んで(?)」指摘してくれるのだ




見方を変えてみれば、耳に痛いことを言う人をはねつけず

そのもたらされた「情報」のみを抽出し、GETできるようになれば

自分で知り得ない自分の望まないクセが何なのかを

労せずして知ることができるかもしれないのだ

この態度さえいつでも取れるようになったら、自分を観ることはとてもたやすくなる



これは、いちいち自分の感情に翻弄されているようであっては

おそらく取ることのできない態度だろう

情報を情報としてとらえる、まともな認識による理性の力が必要となる





そしてここから先、どうするかはその個人の意図、志によるので

誰も強制することはできないし、その必要もない


互いの健闘を祈り合うのみだ




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2009.06/22(Mon)

産みの親 





我々は多くの場合、「何かが起こってから」それについて判断したり考えたりという反応をする

というか、それがごくごく「当たり前」であり「常識」となっている

「現象」が先で、「思考」が後だ

そしてその真ん中に「念(おも)い」がある




現在の我々はこの「自分の」「念(おも)い」に照らして

「自分」から見て、嬉しいことが「起きた」ら喜び
「自分」から見て、いやなことが「起きた」ら怒ったり悲しんだりする



常にスタート地点は「自分」であり
あらゆる反応は「過去の事実」をもとにしている


そしてそのデータをもとに「未来」を予測するが
これもまた「自分」から見て・・・・・というのが伝統的やり方だ



未来に希望を持つも、不安を持つも、厳密に個人個人「自分次第」なのだ





こうしてみると我々は、「今」という瞬間にだけ居ることができていないのではないだろうか?


「今」という瞬間はまさしく瞬(またた)きの間であり、そこには如何なる反応も存在する余地などない

まして、善だの悪だのといった自分中心の判断(価値観)など。




「今」という瞬間

あらゆる思考は停止し、見開かれた目は眼前の「創造」を目撃するのみである





そして我々にはこの「創造の目撃の瞬間」をイメージする力が備わっているのではないだろうか?



そこには何がある(あってほしい)だろうか?


そのイメージが、全ての現象の産みの親だとしたら

貴方は、私は、何を見たいと望む?










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2009.06/21(Sun)

視野 



○○県人という言い方がある

しかし実際にそういう人種がいるわけではない


○○県に産まれた、というだけでそう呼ばれているだけだ



産まれた所によって言葉や文化的なものが違うのは確かだが

それはあくまで外からの教育によるものだ

引っ越せば、その日から別な県の人間になったりする


所属が変われば呼び名も変わるのだ


地球人という呼び名もそうだ


○○人という呼び方は、「自分は現在、○○に所属していますよ」という意味であり

それは、永久に、という意味とは限らない


しかし、こんな普通のことが理解できておらず

その呼び名に固執し、それだけが全てと思ってしまうと

重症な視野狭窄に陥る



視野狭窄は、文字通り視野を狭め、他を排斥し争う原因になる



せめて最低でも

個人→家庭→社会→世界→地球→宇宙 くらいまでは

視野を広げておきたいものだ









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2009.06/17(Wed)

航海の心得 

嵐を乗り切る操舵の力は

嵐のないとき(凪)しっかり学び

実地の嵐(波)で鍛えられる



ミズカラ舵を取り確実な航海をせんとする

命を懸けた責任ある態度を有する者は

必ずこの二つの軸をしっかり持っているがゆえに

無駄に今今の時を費やすることはない




日頃の地道な学びなく、いきなり実地の嵐につっこめば

大波のものすごさに驚き必ずパニックになり

めくらめっぽうの操舵となって事故を招く



無謀さは決して勇気などではなく、無知・無精の結果であって

傲慢さと幼さの証でもある



学びとは

何が確実な航海を妨げるものであるかを

徹底的に知り尽くすことだ


障害や穴が見付けられるようになることであり

その解結法を知ることだ




何をすれば成功するかではなく

何をすれば失敗するかを知ることで

おのずと見えてくるものがある




そしてもし自分の学んだ何かのことに修正すべきことがあると知れば

速攻で修正・変更する謙虚さと柔軟性を身につけることだ





自分自身の、人生という航海に於いても。












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2009.06/09(Tue)

止(と)める 



つらかったり、苦しかったり、悲しかったりしたとき

我々人間はそのことを、他人にわかってほしくなる

他人に話して同情してもらいたくなる

確かに話した当座は、一時的に心が軽くなったり、安心したりする

これは1つの習慣となっている


しかし


ここで思い切ってその習慣を破ってみよう


いつものように弱音、悩みを他人に吐き出したくなったとき

下腹にぐっと力をこめて深呼吸し、それを止めてみるのだ


口が、動きたくてムズムズするかもしれない

感情が、解放されたくて身もだえするかもしれない

体中が不快感でいっぱいになるかもしれない



しかしその、勝手に立ち上がって来る無数の感覚を

じっと感じるままに任せながら、「止める」のだ


止めても上記のような反応があらわれなくなるまで、とりあえずやってみる


これはひとつの実験だ

結果は「お楽しみ」にしてほしい




きっとやりたい人だけがやるだろう
















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2009.06/09(Tue)

未知と既知 


我々人間は、未知に憧れ、同時に未知を恐れている

だから、未知を追い求めると同時に、未知から逃げる



「未だ知らざる」ことが、この二つの方向性を同時に産んでいる




しかして未知を明らかにしたとき、それは既知となり

憧れと恐れは夢うたかたと消える



既知は、我々が歩む平坦な道を支える、一構成部分となる





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2009.06/07(Sun)

腐った水のお話 

ある砂漠での話


いっぱい水の入った容器を大事そうに見つめながら抱きかかえている男がいた

あまりにも大事に思うあまり、男の目はその容器しか見えなくなっているようだった

しかし、よく見るとその水は長い間貯め込まれていたために

すっかり腐って色も変わり、かなりひどい臭気を発している




通りかかった誰かがそのようすをみて

「そんな腐った使い物にならない水は捨てて、新しい水を入れたらどうですか」というと

「とんでもない!だいいち、この水を捨てたら次の水が見つかるという保証がない」と言い

ますますその容器を大事そうに抱えて歩いていった




しばらくして男はオアシスのそばを通ったが

自分の容器ばかりをじっと見ながら歩いていたのでオアシスを見落としてしまった




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
使い物にならない水とは、自分にとっていったい何なのだろうか?






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2009.06/07(Sun)

私自身 




100%自分のことしか考えられないようプログラミングされている「我々」に

もし「この人がいてくれるだけで充分」と

100%無条件に思える(尽くせる)人がいたら(できたら)

その人はもう他人ではなく「私自身」なのだ





そしてそれ以外は、どんなにきれい事を並べようが

すべて ニセモノなのだ



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2009.06/07(Sun)

手を上げろ?! 



生かされていることの実感…

よく死ぬような目に遭ったり
何らかの体験をとおしてその実感を得る人がいて
その体験談を発信してくれている

読む人はそれに感心したり感動したりして
「ああ、そうなんだ」と思う人もたくさんいる


しかしどこまでいっても自分の実感にはなり得ない
そう思うことによって生じる擬似的安心感や幸福感に酔ったり
あるいはいつのまにか忘れてしまう

同時に、体験した人の中にも
その体験から来る感動や幸福感の大きさに酔いしれ
自分はもうすっかりわかったと思い込んで
今度は他人を「指導」しようとする人もいる





しかし


本当に「わかった」のだろうか?

自分が発信することに、永遠の責任を負う意識はあるのだろうか?




ある時代、真実とされたことが
別の時代に誤りであったとされることなど
枚挙にいとまがないほどたくさんある


もしも、最期の最後に「誤りであった」と認定されたとき
「ごめんなさい」の一言を
一切の言い訳をすることなく言えるような
すがすがしい謙虚さと明晰さを以て発信しているだろうか






生かされているとはどういうことか?
いったい誰に生かされているというのだ?



普通に考えてみると

生かされている、ということは、命を握られているということだ

すると

死なされることも当然あるということではないのか?

生かされることを歓迎するのなら
死なされることも歓迎できるのか?

もし一方だけ歓迎できないとしたらその理由は何か?




生かされる(死なされる)とはいったい何なのだ?

誰に?生かされ(死なされ)
どうして?生かされ(死なされ)
なんのために?生かされ(死なされ)るのか


先哲や識者たちが追求し続け、未だその答えのない永遠のQUESTION



人類全員、お手上げなのに、傲慢にも一向にお手上げしないQUESTION


あき(明)らめの悪い我々、愛すべきHOMO SAPIENS
























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2009.05/23(Sat)

慣性 

一度、習慣として身についてしまったものを変化させるのは

頭で考えるほどたやすいことではない

むしろ「至難のわざ」と言ってもいいかもしれない


習慣とは、人生そのものと言ってもいいかもしれない

人生は習慣のかたまりだ




習慣を変えること=人生を変えること に等しいかもしれない




たとえば

これまでずっとトイレのフタを閉めたことのない人が
これからは必ずフタを閉めようと思ったとする

最初は入るたびに何とか閉めることができても
続けていくうちにあるとき「閉め忘れる」

次に入ったとき「あ、閉め忘れた」と気づき
また気をつけるかもしれない

しかしそんなことが何度も何度も続くとだんだん「めんどくさくなる」

「また忘れた・・・でもまあ、いいか」と、だんだん適当になっていく

かくしてめでたく元の習慣に戻るというわけだ

我々は、自分が思う以上に、とてつもなく不精なのだ

つまるところ「べつに変えたくない」のだ

これが人生の至るところに蔓延し支配している念だ




何らかの動機を得て、変えたいと思った人はすでにやっているし

これからもずっと黙ってやり続けるだろう




自分がどういう状態なのか知りたかったら、やってみたら善い

今までやったことのないこと、あるいはめんどくさいと感じることを

たとえば「トイレのフタ閉め」を










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2009.05/22(Fri)

道具の命 


どんなに素晴らしい道具も、使わなければただの「モノ」だ

「モノ」といっても物質だけではない

「法則」や「原理」といった、目に見えないものもある



誰が作ったものであろうと、道具は使われるために作られた

作った人の目的は、自分の作ったものが人に使われ、喜ばれることだ


人によって、興味の湧く道具は違う


自由に好きな道具を選び、使い、喜ぶことで道具の使命は果たされ

作った人の目的も成就し続ける




自分の周囲に足下に

使われないまま、あるいは「使ったつもり」で放置され

命が消えかけている道具はないだろうか


使うのは「自分」だ









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2009.05/21(Thu)

選択 

私たちは、感動や喜びを選ぶこともできるが


恐怖や不安を選ぶこともできる


自分を何者と観るか・・・たとえば

神と観るか

人間と観るか、すらも

選ぶことができる




そして真に選んだものは

必ず顕れ(てい)る







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2009.05/21(Thu)

本質は同じ 





海へ行って、海水を瓶の中に入れてみる


そのとたん、瓶の中に入れた海水と海の水は、違うもののように見える



海水自体には違いはないのに

瓶の水は海の水と区別され

もはや誰もそれを「海」とは呼ばない



ではその区別は何によってもたらされているか?


言うまでもなく瓶という「器」によってだ



瓶の中の海水を海に戻せば

その水は再び「海」と呼ばれる





















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2009.05/20(Wed)

宇宙の責任者 

責任者とは、一般的に言えば

自ら責任を持って何か(会社、家族などの、人や物事)を抱えている人のことだ

責任とは、立場上当然負わなければならない任務や義務とされる




責任者は、自らの抱えている範囲に起こる全てを自らの責任として受け止め
我が身一個の保身はあとにして、優先的に考え、対処することのできる人だ



言い換えれば、「愛する、大切にする」ことのできる人だ




その及ぶ範囲は人によってさまざまだが
それは必ずしも社会的肩書きや地位に関係ない


一家庭の主婦であっても
一学生であっても
一労働者であっても
一ニートであっても



自分の認識できる範囲の全てに対して

<善い子>も<悪い子>も差別なく

先(ま)ず

理屈なく抱きしめることのできる人は


自らの宇宙の責任者としてふさわしい






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2009.05/19(Tue)

Innocent Baby 


自分の中、奥深くに

とてつもなく無垢で純粋な赤ん坊が

愛らしく眠っているのを感じたことがあるだろうか




いつまでもいつまでも見ていたいような

その眠りをずっと守ってあげたいような

見ているだけで幸せがこみ上げてくるような


純粋無垢な赤ん坊が



「名前」という衣服を着た誰の中にも

愛おしくすやすやと眠っているのだ・・・・








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2009.05/13(Wed)

感謝 



自分がいま居る境涯を、心底受け入れ感謝があふれたとき

まるで見えないスイッチが切り替わるように

おのずと次なる境涯に移るのかもしれない


同時に

そこへ至る日々の諸々は
振り返ればすべて必要だったのであり
どれも愛すべき尊ぶべきものばかりだったことを知り

深い感動と感謝とともに、それら全てを手放して飛翔する




テーマ : **暮らしを楽しむ** - ジャンル : ライフ

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2009.05/11(Mon)

有り難い 

有り難い=有ることが難かしい=めったにない


どんなものでも、事でも、人でも何でも

「有って当たり前」「居て当たり前」と思ったとたん

この「有り難い」は消える






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2009.05/11(Mon)

二つの目 

二つの肉眼しか持たない人間は

美しい金銀宝石や、地位や、権力や、お金などに両目を奪われてしまうと

文字通り、目が「奪われ」、盲となって(あるいは視野狭窄となって)


それら以外のあらゆるもの

例えば道ばたに咲く一輪の花や、足下の土を耕す微生物や

目に見えるもの、見えないものを含め

存在するあらゆるもののハタラキのものすごさが見えなくなるものだ

これで本物の感謝など出るわけがない










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2009.05/11(Mon)

「喜ばせたい」の根拠 


「喜ばせたい」「喜びを産みたい」というのは
人間誰にでもある素晴らしい性質だ


しかしその一番深い根拠が「自分の満足」に留まるとき

相手が自分の思ったように喜んでくれないと
それはあっというまに怒りに変わる

「相手が喜ぶ」という見返りをもらえなかったからだ
これは取り引きだ
またの名を「偽善」とも言う


そしてもし

その根拠が「喜びを産むこと」そのものにあるとき

相手が自分の思ったように喜んでくれなければ
「ではどうすれば喜んでくれるか?」という
次のアイディアに向かう

相手の反応は、そのためのヒントになるだけで
自分の感情をかき乱すものではない


そしてそれはあきらめることも尽きることもない


いっさいの取り引き条件がないからだ




そしてこの無条件の愛に向かうことだけが

私たちがストレスゼロになることを可能にするだろう
















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2009.05/10(Sun)

決定者 

体が重い………





しかし!


この、体の重さ(という感覚)こそは

「私」が「肉体(だけ)ではない」という、れっきとした証拠なのだ

なぜなら、「私」の「精神」は
常に自由で軽く、活気に満ちて快適そのものであるからだ


そして

精神と切り離すことのできない肉体もまた
本質的にそうであるはずだからだ


フォーカスを

肉体に合わせるか
精神に合わせるか

決め(てい)るのは

「I」という、主たる決定者であるはずだ








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